Design Note

日々進めているプロジェクトや、デザインのヒント、旅先で見つけたものやことなどをお伝えいたします。

2014.10.01

上海城壁

上海には、かつて城壁と堀割があった。そして、そのほんの一部が、今も残存する。
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1843年の開港、続く1845年のイギリス租界の設置以降、上海は、いきなり世界史の表舞台に登場することになるのだが、それ以前は、この地方の大都市と言えば、天下第一と詠われた蘇州であり、上海は、蘇州の周辺に数多散在する、いわば水郷のひとつに過ぎなかった。

1292年、上海は「鎮」から「県」へと昇格する(日本で言えば、「町」から「市」へ、といったところ)。当時の中国では、「県」レベルの都市の多くが、城壁を擁していた。この地方では、蘇州、杭州、無錫、南京といった大都市の他に、嘉興、嘉定、松江など、中堅レベルの県では、いずれも城壁が築かれていた。

しかし、大河に隣接する、いわば自然の要塞のような立地の上海では、その後の250年以上も、城壁がつくられることはなかっ。転機は16世紀、明代に訪れる。自在に水上からの侵略を仕掛ける「倭冦」が猛威を振るうようになったためである。その襲撃に備え、1553年、上海県にも城壁と堀が築かれた。そしてそれ以降、1911年までの350年ほどの間、上海は城塞都市となった。

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上海の城壁は周囲延長4.5キロメートル、高さ8メートル。最初は、河に面した東側に2つと西南北に各1つ、計5つの門が置かれ、城壁の外側には幅20メートル、深さ約6メートル、延長1約4.9キロメートル程の堀がめぐらされた。その後、2箇所の門が追加される。

1845年以降、上海の租界はこの城塞都市の北側に置かれると、上海は新旧双子都市のようになるが、租界側の発展と肥大化は、やがて旧市を呑み込む勢いとなってきた。

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1901年の上海地図。未だ城壁と堀が残っている。

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1910年頃の城壁周り

この城壁が撤去されたのは、1911年から13年にかけてで、世は辛亥革命の真っただ中、また近接するフランス租界が拡張されはじめた時期でもある。倭冦の脅威はとっくになくなり、もはや城壁は、大発展を遂げる都市にとっての、インフラ整備や都市衛生向上の阻害要因でしかなかった。

「上海史」(高橋孝助、古廐忠夫編、東方書店)によると、この城壁撤去の発案者は、辛亥革命の立役者でもあった李平書で、上海での中国人の自治権の拡大を訴求する活動の一環として、フランスが城壁撤去を模索しているという情報を聞きつけた李が、先手をうって、自分たちの手で撤去を遂行するように動いたとのことである。しかし、自治運動を繰り広げる李の同志の多数は、治安面での不安から、その撤去に、当初は反対したようだ。それでも根気強い李の働きかけによって、1911年、城壁の撤去と堀の埋め戻しの実施が決定さた。

撤去後に出来た城壁と掘割跡の広い円環状の道路には、辛亥革命で樹立が宣言された「中華民国」にちなんで、「中華路」と「民国路」(現在は「人民路」)というシンボリックな名前が付けられた。

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しかし、掘割の埋め戻し工事の指揮事務所が置かれていた、城壁の北東の一角の「大境閣」と呼ばれる櫓と、その周辺の城壁約50メートル分は、以前から自治政府内で根強かった城壁取壊しの反対意見への気づかいもあって、その後も残さることとなった。

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この城壁は、1995年にさらに修復が施され、「大境閣」として一般に公開されることとなった。

今日、この旧城壁内(中国風にいう「老街」)は、上海観光の目玉である「豫園」が北西部にあり、その周囲の観光客相手の一大商店街とともに、上海でも屈指の活気ある一角を形成している。また、南側半分は、明らかに租界とは異なる前近代的で迷路的に入組んだ露地の連続の中に、低層で高密度な里弄や石庫門、さらに土着的な住宅や商店が多数残っている。

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しかし、皮肉なことに「大境閣」の位置する、北東部は、ここ数年で、ほぼ完全に古い建築群が取り壊され、高層の住宅や商業ビルに置き換えられつつある。

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つまり、これで上海は、租界設置前からの長い歴史の中で、城壁の建設から撤去を経て、今まさに城内が解体されつつある、ということになる。

「大境閣」の前から旧城内に伸びる「大境路」沿いの広大なエリアでは、2014年9月現在、一見、震災の後かとも思えるような光景が広がっている。この後にどのような計画が企てられているのか分からないが、この破壊っぷりでは、古の雰囲気やスケール感を温存するような計画では、なさそうだ。

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以下は同じ大鏡路の約1年前の様子

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